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東京高等裁判所 昭和49年(行ケ)85号 判決

原告

テルモ株式会社

被告

ミサワ医科工業株式会社

外5名

補助参加人

栃木精工株式会社

主文

特許庁が昭和49年3月11日、同庁昭和44年審判第833号事件についてした審決を取り消す。訴訟費用は被告らの負担とし、参加によつて生じた訴訟費用は補助参加人の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  原告

主文と同旨の判決

2  被告ら(被告京都医科器械株式会社については、後記第2の3参照)

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2当事者の主張

1  請求の原因

(1)  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和38年3月29日出願され同41年3月1日登録された、名称を「合成樹脂製注射筒」とする登録実用新案第795027号(以下「本件考案」という。)の実用新案権者である。

被告らは、昭和44年2月24日原告を被請求人として特許庁に対し本件考案につき実用新案登録無効の審判を請求したところ、特許庁は同庁昭和44年審判第833号事件として審理し、昭和49年3月11日本件考案の登録を無効とする旨の審決をし、この謄本は同年3月25日原告に送達された。

(2)  本件考案の要旨

「先端に弾力性あるスライドパツキングを取付けた喞子を喞筒に嵌挿したものにおいて、上記喞筒の中央より末端の内面に内径かスライドパツキングの外径よりやゝ小さい抜止環を突設してなる合成樹脂製注射筒。」

(3)  審決理由の要旨

本願考案の要旨は前項記載のとおりである。

ところが、請求人が証拠として提出した刊行物(ベクトン・デイキンソン・アンド・カンパニーB―Dカタログ)のA4頁(以下「引用例」という。また、右B―Dカタログを「引用刊行物」ということがある。)右欄5~8行目に「不慮の止具の引抜きを防止する為に注射筒の口は減小した内径を有している」と記載されており、また、同右欄下方に図示されている注射器の注射筒の末端部分には上記の減小した内径が示されてあると認められるので、結局、「先端にスライドパツキングを取付けた喞子を喞筒に嵌挿したものにおいて、上記喞筒の末端の内面に内径が減小した抜止環を設けた合成樹脂製注射筒」が同頁に記載されているものと認られる。

そこで、これと本件考案のものとを比較するに、引用例に記載のものにおいては、スライドパツキングが弾性を有しているかどうか、また、喞子と喞筒の抜止がどのようにして行われるかについて記載されてはいないという点を除けば両者に差異はないものと認められる。そして、スライドパツキングはその性質上弾性を有するものを用いるものであり、また、抜止環は喞子の抜止のためにあるので当然スライドパツキングと係合することにより喞子の抜止をさせるものと判断されるので、本件考案の要旨とする点はすべて引用例に記載されているものと認められる。

ところで、前記B―Dカタログが本件考案の出願前に米国内において領布されたかどうかの点について検討するに、引用刊行物に「Copyright1962」と記載されているが、そのことをもつて引用刊行物が1962年中には米国内で領布されたと直ちに認めることはできない。参加人(本件訴訟における補助参加人)から提出された宣誓供述書(本件訴訟における内第1号証の1)によれば、前記引用刊行物が1962年に米国内に領布され、また、1960年に「プラスチパツク」という商標名を付した使い捨てプラスチツク注射器が生産され、その中にリングを形成するよう内径を狭めた口部を有する注射筒が含まれており、これらが1962年3月1日には米国内で販売されていたと、供述されており、前記引用刊行物の中に「Cop-yright1962」の記載がありまた、引用例に記載されたものか前記宣誓書に供述されたものと1致していると認められるから、これらより勘案するに、前記引用刊行物は1962年には米国内に領布され、その中に「A4」頁として示される頁(引用例)が含まれていたものと認められる。さらに、本件無効審判は、本件実用新案権の設定登録の日より3年以内である昭和44年2月24日にベクトン、デイキンソン、アンド、カンパニーが米国において1962年(昭和37年)に発行したカタログを証拠として、このカタログ中に本件考案と全く同一構成のものか記載されていると主張して請求されたものであるので、同会社の製品カタログ中の合成樹脂製注射器に関する部分を引用していることは明白であり、これは後に補充された証拠刊行物と1致しているものと認められるので、本件審判の請求は、外国において領布された刊行物を引用した無効審判の請求の場合の実用新案法第38条の規定に違反していない。

したがつて、本件考案は、その出願前に米国において領布された引用刊行物のA4頁に記載された注射器と同1考案のものと認められるので、実用新案法第3条第1項第3号に該当し、同法第37条第1項第1号の規定によりこれを無効とすべきものとする。

(4)  審決を取り消すべき事由

審決は、次のような誤りをおかし、本件考案を無効としているから、違法として取り消さるべきである。

1 本件考案についての実用新案権設定登録日は昭和41年3月1日であり、本件無効審判請求日は昭和44年2月24日であるが、前記引用刊行物(B―Dカタログ)は無効審判請求の除斥期間経過後である昭和44年6月25日に審判手続に提示されたものであるから、これを引用の用に供することはできないと解すべきところ、審決は右B―DカタログのA4頁を本件考案を無効とするについて引用した。

2 前記引用刊行物は本件考案の出願前に外国において領布された刊行物ではないのに、これを出願前に領布されたものと誤誘した。

3 本件考案は引用例に記載されている注射器と同1考案のものとはいえないのに、審決はこれを同1のものと判断して本件考案の新規性を否定した。

2  被告ら(被告京都医科器械株式会社を除く。)および補助参加人の答弁と主張

(1)  請求の原因(1)ないし(3)の事実は認める。

(2)  請求の原因(4)について

本件考案についての実用新案登録が無効とさるべきことは審決理由に示すとおりであり、審決には何らの違法もない。すなわち、

1 本件登録無効審判請求は除斥期間内になされた過法な請求である。

本件考案についての実用新案権設定登録日は昭和41年3月1日であり、本件登録無効審判請求日は昭和44年2月24日であり、引用刊行物の提出日は昭和44年6月25日であることは認める。しかしながら、外国において領布された刊行物に基づく実用新案登録無効審判請求の除斥期間内に提出された本件登録無効審判請求書には、「米国所在のベクトン・デイキンソン・アンド・カンパニーに於て西歴1962年発行されたカタログ中に本件登録新案と全く同1構成のものが記載されている。」との記載があり、明確に引用刊行物の特定がなされている。

現行実用新案法制定に際し、登録無効審判請求の除斥期間をすべて撤廃することをせず、外国で領布された刊行物に記載された考案であることを理由とする場合について3年の除斥期間を残したのは(38条)、権利の不安定化の度合いがあまりにも大きくなることを避けるためである。登録無効審判請求人が除斥期間内に請求の理由となる事実を挙げることができず、したがつて登録無効審判請求を断念しなければならない状態にありながら、何のあても成算もないのに専ら除斥期間を保全する目的で、いわば投機的に間を合わせの主張を掲げておき、期間経過後にあれこれと理由を補充したり変更したりすることができるものとすれば、上の立法趣旨ないしは除斥期間を認めた法の精神に反し違法といえるであろう。しかし、本件においては前記のように審判請求の当初から登録無効事由は具体的に特定されており、後日提出された述証には、その主張のとおりの記載があつたのであるから、この刊行物を引用しているのは明らかである。

2 引用刊行物が米国において領布されたのは本件考案の出願日前である。

(1)1 引用刊行物の扉紙の下方には「Copyrigh-t1962, Becton, Dickinson and Company.」という米国著作権法の規定による著作権表示がある。米国著作権法(U. S. Code Title 17―Copyright)によれば、著作物を著作権の表示を付して発行することによつて著作権を確保できることとされている(同法第10条)ので、前記引用刊行物の著作権表示はベクトン・デイキンソン・アンド・カンパニーが発行によつて著作権を確保した年が1962年であることを示している。上著作権表示自体から引用刊行物が本件考案の出願日前の刊行物であることは明白である。(なお、引用刊行物の製本には、セル巻きバインダーによる編綴方法がとられているが、これは差替え自由ないわゆるルーズリーフ式のものではない。)

2 また、引用刊行物が1962年に米国において領布された旨を述べるサブリー氏の宣誓供述書があり、この宣誓供述書には信憑性がある。B―D社は、被告らおよび補助参加人のいずれとも何の関係もない第3者であつて、その副社長の地位にある者が、公証人の面前で宣誓のうえ虚偽の事実を陳述するとは考えられず、供述自体に不合理な点もない。

しかも、ドカリー氏の書簡によれば、引用刊行物は1962年にニユーヨーク州マウントバーノン・ハートフオード・アヘニユー40番地所在のコリツシユ印刷所において印刷されたものであり、印刷部数は約36500部であることが明らかとなつている。(なお、引用刊行物には、Becton, Dickinson, Inc. of Pue-rto Ricoという法人についての記載があるが、この法人は1952年1月29日に設立され、1964年まで存続していた法人で、1964年6月1日に設立されたBECTON DICKISON―PUERTO RICO, INC.とは別法人である。)

引用刊行物のほかに、同じ年の著作権表示がなされ同1技術が開示されている「DISCARDIT」製品カタログ(乙第5号証の2)が存在し、また本件考案の出願前の刊行物である乙第5号証の3、同第6号証の1、2にも引用例と同じく「PLASTI―PAK」についての記載があることからみても、引用刊行物の領布日は本件考案の出願日前であり、本件考案は新規性がないことが明らかである。

3 引用例には本件考案と同1の技術が示されている。

本件考案の構成要件は、「イ、先端に弾力性のあるスライドパツキングを取り付けた喞子を喞筒に嵌挿したものにおいて、ロ、喞筒の中央より末端の内面に、ハ、内径がスライドパツキングの外径よりやや小さい抜止環を突設してなる、ニ、合成樹脂製注射筒。」である。ところで、従来からあるガラス製の注射器は、喞筒と喞子が密着して摺動するよう擦り合わせによつて調整されているが、合成樹脂製場合にはこのようなことはできないので、喞子先端にゴムまたは合成樹脂製のパツキングを取り付けて、これにより気密性を保たせるようにしており、本件考案においてはこれをスライドパツキングと称しているのである。

これに対し、引用刊行物A4ページには、PLAS-TIPAK SYRINGES に関する説明があり、3本の注射器の写真が掲げられている。これらは、いずれも先端にスライド・パツキングを取り付けた喞子が嵌挿された透明な合成樹脂製注射筒の写真で、注射筒先端寄りにおいて黒く撮つているのが、スライドパツキングである。このように、まず、引用例には構成要件イ、ニが示されていることは明らかである。

次に、本件考案にいう抜止環であるが、その位置が喞筒の口部(mouth of the syringe barrel)であること、該個所が狭ばめられた内径(a reduced jns-ide diameterを有していること、すなわち構成要件ロ、ハも引用例に記載されている。

このように、引用例には本件考案の構成要件イ、ロ、ハ、ニのすべてを具えた合成樹脂製注射筒が示されていることは明らかである。

3 被告京都医科器械株式会社は適式の呼出しを受けたにもかかわらず、本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しない。ただし、本件訴訟はいわゆる類似必要的共同訴訟と認められるから、上2(2)に掲げた主張は同被告のためにも効力を生じたと解すべきである。

4 被告らおよび補助参加人の上主張(2(2))に対する原告の認否反論

(1)2(2)1の主張について

本件無効審判請求書には特定の刊行物についての記載があるとはいえず、除斥期間経過後になつて漸く引用刊行物が提出されたのである。カタログの類であつても、雑誌などの定期刊行物と同じように、それが特定されるためには、何巻何号というようにいつ発行され、どういう記事がその刊行物に記載されているかが明らかにされなければ、刊行物の特定ということはできないのである。

(3)2(2)2の主張について

1 引用刊行物には「Copyright1962―Bect-cn, Dickinson and Company」と印刷されていることは事実であるが、刊行物はそこに発行日として記載された日に真実発行されたことは断定できないし、また発行日に領布があつたともいいきれない。

カタログ類はまずその企業内部の内部ルートに配布され、各営業担当者が必要に応じて消費者に配布するものである。場合によつては、企業内部にそのまま山積されたまま日の目をみないことも決して珍しくない。現に本件のカタログと同1のものが米国特許庁科学図書館に受け入れられたのは1964年11月13日であつて、引用刊行物の表示に記載された年と2年も異なるのである。

したがつて、上表示に記載された年に印刷されたかどうかすら疑わしいのみならず、仮に引用刊行物が1962年に印刷されていたとしても、そのように遅く上図書館に受入れられたことは、B―D社企業内部に引用刊行物がとどまつていたとみる余地は十分にあるのであり、引用刊行物に前記表示があるからといつて領布の時期を本件考案の出願前と推定することはできない。

なお、引用刊行物のカタログは、セル巻きバインダーと呼ぶか、ルーズリーフと呼ぶかの問題は別としても、バインダーを回転すれば中身の全部がはずれるものであつて差替が自由のものであり、旧製品のページを取除いたり、新製品のページをつけ加えることを予想していると考えられ、このことを考えると、表示された年に全ページのものが真実発行されたと推認することができなくなることは明白である。

2 ヘンリー・サブリー氏の宣誓供述書には信頼性がない。なぜならば、宣誓供述書の内容は、供述の時から9年11月も前に引用刊行物が発行され、1962年中には米国内を流通していたというのであるから、もし上供述が純粋に記憶のみによつたとしたらその正確性には疑いがもたれるし、もし記憶のみを頼りにしたのではないとすれば、引用刊行物の表示を頼りにして上供述をしたと考えられるから、領布の日を裏づけることができない。しかも、同氏は、供述当時B―D社の副社長の地位にあつたが同社は原告と同業者ではげしい競争関係に立つている等の点でも、同氏の供述内容の信頼性は疑わしい。

また、ドカリー氏作成の書面も信用性がない。ドカリー氏もB―D社の人間であり、内容的にもサブリー氏の宣誓供述書の内容とほぼ同様のものであつて、この者の供述を加えることにより宣誓供述書の信用力が増すわけではない。しかも、同人は、第1回目の回答では引用刊行物は1962年9月に領布されたとしながら、さしたる理由も示さないまま第2回の回答では同年3月27日に領布されたと訂正しているが、本訴訟における最大の争点が引用刊行物の領布時期であることをドカリー氏は当然知つているのに、この点について同人が矛盾した供述をしたという事実は、それだけでも同人の供述内容の信憑性を疑わしめるものである。

さらに、サブリー氏の供述といい、ドカリー氏の供述といい、いずれも伝聞供述であるから、反対尋問権を行使できない以上、特に信用できる情況的保障があつてこそ信用性も生れるのに、そのような保障は認められない。

乙第5号証の2、3のいずれについてもその領布時期を証明するものはない。なお、乙第5号証の2にはマイクロランス(MICROLANCE)なる商標が記載され、乙第5号証の3には新型マイクロランス(New MICROLANCE)につき説明がなされているところ、マイクロランス商標の出願日は1970年12月4日、登録日は1975年3月18日であり、フアーストユースの日は1963年1月31日前と公告されている。米国では商標について使用主義がとられ、使用についてはできるだけ早い期日に使用していたことを証明して早くから使用していたことを示そうとする傾向にあるのに1963年1月31日と記載されていることは乙第5号証の2、3が1963年以後に領布されたものであることを疑わしめるものであり、引用刊行物の領布時期について証明する力をもたない。

(3)2(2)3の主張について

引用例に記載されているのは、はつきりしない写真と説明文の記載である。

まず、写真自体がはつきりしない。このはつきりしない写真をもつて、本件考案と同1構成が示されていないと判断することは、当業者の知識をもつてしては、とうてい不可能事である。

つぎに、説明文もはつきりしない。引用例の原文には単にストツパー(stopper)とあるだけで、このストツパーは止め栓のようなものを指すのか、それとも本件考案のように喞子が喞筒の開口より抜出ないようにしたものか、全く不明である。さらに、この「ストツパーの不慮の抜脱を予防するために」(訳文)とあることからみると、「ストツプ」させるもの、すなわちある種の止め具(それが何であるかは明確でない)について、さらにその抜脱を防止する2種の防止装置を指しているようにも思われる。

結局、引用例では、写真のような外形を有していること、ストツパーといわれるものがあるらしいこと、注射筒の開口部分の内径が小さくなつていること、以上3点だけが理解しうるのであつてそれ以上の具体的構成は何1つ明らかでない。

本件考案と引用例に示されたものが同1であるというためには、本件考案に示された構成のすべてが引用例に示されていることが必要であるが、引用例には前記3点しか示されていないのであるから、とうてい同1と認める余地がないのである。

なお、補足すると、本件考案は、スライドパツキングの抜止め防止のみならず、薬液の1定量吸引をも目的とするものであるが、後者の場合、例えば、ペニシリンやホルモン剤等の高価な薬液については、薬液をむだにしないために必要量のみを正確に吸引することが望まれるが、このような場合には、スライドパツキングの先端部が当該必要量を示す目盛線に1致するような位置に抜止環を設けることによつて目的を達成することができる。また、薬液吸引操作も、機械的に素早くできるものである。このような本件考案の目的ないし効果を伴つた、「喞筒の中央より末端の内径がスライドパツキングの外径よりやや小さい抜止環を突設してなる合成樹脂製注射筒」が引用例には記載されていない。

引用例に記載された「stopper」が具体的にどのような構成を示すものか不明であるにもかかわらず、審決はこれをもつて、ただちに、「スライドパツキング」が記載されていると結論づけたのである。しかし、両者が、同1のものを指していると言えるのかどうかについては何らの説明もされていない。本件考案にいうスライドパツキングは、日本語では吸子等と呼ばれ、米国の過常の用語の使用例としてはガスケツト、プランジヤーチツプ等の用語がこれにあてられており、米国の連邦の規格でもこれらの用語が使用されていて、ストツパーという用語は通常使われていないのである。

理由

1  請求の原因(1)ないし(3)の事実は、原告と、被告京都医科器械株式会社を除くその余の被告らおよび補助参加人との間では、争いがなく、口頭弁論に出頭しない被告京都医科器械株式会社も自白したとみなすべきである。

2  そこで、本件審決を取り消すべき事由の有無について検討する。

(1)  まず、外国文献にもとずく無効審判請求の除斥期間(実用新案法第38条)との関係で、本件引用例によつては本件考案の登録を無効にしえないかどうかについて考えてみる。

1 本件考案についての実用新案権設定登録日は昭和41年3月1日であり、本件登録無効審判請求日は昭和44年2月24日であるが、引用刊行物の審判手続への提出日は昭和44年6月25日であることは当事者間に争いがないから、無効審判請求日は外国文献に基づく実用新案登録無効審判請求について定められた3年の除斥期間内であるが、引用刊行物(外国文献)の提示日が上除斥期間経過後であることは明らかである。

2 ところで、原本の存在と成立に争いのない乙第10号証によれば、上無効審判請求書には、「前記実用新案の技術的範囲に包含されこれと全く同1構造のものが、本件実用新案の登録出願前既に公知である。即ち米国所在のベクトン・デイキインソン・アンドカンパニーに於て西暦1962年発行されたカタログ中に本件登録実用と全く同1構成のものが記載されている。これについての詳細証拠は追つて補充する。」と記載されていることが認められる。

3 上の無効審判請求書中の記載と除斥期間経過後に提出された引用刊行物、乙第1号証の1ないし3の記載とを対比すれば、前記請求書にいうベクトン・デイキインソン・アンドカンパニーに於て西暦1962年発行されたカタログとは上特定の引用刊行物を指していたと十分認めることができる。

4 このように除斥期間内に提出された無効審判請求書に挙げられた外国文献が特定されていれば、それが証拠として審判手続に現実に提出された日がたとえ無効審判請求の除斥期間の経過後であつても無効請求を基礎づける外国文献として引用例たりうることは明らかである。

したがつて、審決にはこの点に関して原告が主張するような誤りはない。

(2)  つぎに、引用刊行物は本件考案の出願前の刊行物であるかどうかについて考えてみる。

1 引用刊行物には「Copyright1962, Becto-n, Dickinson and Company」と印刷されていることは当事者間に争いがない。そして、この表示は米国著作権法の規定により著作権を確保するために著作者みずからによりなされた著作権表示であることは弁論の全趣旨により明らかであるけれども、原告と、被告京都医科器械株式会社を除くその余の被告らとの間において成立に争いがなく、また被告京都医科器械株式会社との間でも弁論の全趣旨により成立の認められる甲第15号証によれば引用刊行物と同1のものが米国特許庁科学図書館に受け入れられたのは1964年11月13日であることが認められ、引用刊行物の表示に記載された年と2年も異なることおよび表示の前記のような性質を考えれば、上表示があるからといつて本件考案の出願日前に頒布されたと推認することは困難である。

もつとも、弁論の全趣旨により成立の認められる丙第1号証の1、2によれば、ベクトン、デイキインソン・アンドカンパニー(以下「B―D社」という。)の副社長ヘンリー・サブリーは「B―Dカタログ、Copyright1962は1962年3月27日頒布のため米国内に配布され、1962年の間米国内に頒布された」旨宣誓供述していることが認められるけれども、同号証によれば、上の宣誓供述がなされたのは1972年2月18日であることが認められるから、前記カタログを頒布したと称する時と宣誓供述の時との間には約10年の年月の隔りがあり、また事務上の細かな出来事の日時に関することであるのに、同人は単にB―Dカタログの頒布時期についての結論を前記のように述べるのみで何らの根拠を示しておらず、またB―D社が原告と注射器製造につき競争関係にあること(弁論の全趣旨により認められる。)を考え合わせると、上丙第1号証の1、2の供述内容はただちに措信できず、他に裏付資料もないので、引用刊行物の頒布の日を本件考案の出願前であることは認定できない。

また、成立に争いのない乙第5号証の1、証人柳生征男の証言および弁論の全趣旨によれば、B―D社の社員ロバート・ジエイ・ドカリーは、後記柳生弁理士に対しB―DカタログCopyright1962の頒布日について前記サブリーの宣誓供述に沿う内容をしたためた書簡を寄せていることが認められるが、同号証と証人柳生征男の証言により原本の存在と成立の認められる乙第2号証の1、2、同第4号証、同じく成立の認められる同第3号証の1、2および証人柳生征男の証言をあわせると、ドカリーは被告ら(但し被告京都医科器械株式会社を除く)代理人新垣弁理士の依頼を受けた柳生弁理士の照会に対し、B―Dカタログは1962年9月頒布された旨返答していたが、柳生弁理士から前記サブリーの宣誓供述の内容と齟齬する旨指摘されたうえでの再度の問合わせに対し、1962年9月頒布されたと述べたのは別のカタログで、引用刊行物であるカタログの頒布日は1962年3月27日であると答えを改めたものであり、しかもその根拠を示していないことが認められ、さらにドカリーがB―D社の社員であることをあわせると、上記乙第5号証の1をもつてしても上記カタログの頒布の日が本件考案の出願前であることを認めさせるに足りない。

なお、乙第5号証の2、3、第6号証の1、2もその頒布日についてこれを確定するに足る証拠はないから、これらの証拠をもつて引用刊行物の頒布日が本件考案の出願前であることを裏付けるに足りない。(これらの証拠は審判手続において証拠として提出されたものではないから、上記証拠に記載の技術内容をもつて本件考案の新規性否定の根拠となしえないことはいうまでもない。)

2 以上検討したところによると、引用刊行物が本件考案の出願日前に外国または日本国内において頒布された刊行物であることは認められない。

(3)  そうすると、その余の点について判断するまでもなく、上記刊行物を引用して本件考案を無効とした審決を適法ということはできず、審決は取り消しを免れない。

3 よつて、原告の本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条、第93条第1項本文、第94条後段の規定を適用して主文のとおり判決する。

(小堀勇 小笠原昭夫 石井彦壽は転任のため署名押印できない。)

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